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2009.11.12

『新宗教』村上重良、岩波現代文庫

 解説担当の島薗進先生がキレまくり。27年前に出た概説書を文庫で再刊しなければならない業界の研究状況への不満も手伝ってか、徹底的に本書の限界について解説七ページ分で示している。新宗教を一覧した本書には、冷戦下のマルクス主義的前提が存在しており「なぜ、新宗教がこれほど人びとを魅了にしたのか」が見えにくいと断じる。確かにこういう本は、記述者の志向・立場の問題が難しいやな。
 霊友会と立正佼成会、創価学会あたりまでしかカバーされていないが、勢力が縮小している如来教から黒住教、天理教、金光教、大本教、ほんみちといった教団の沿革と教義が簡潔にまとめられた本書は入門書としては良いだろう、というか私は何に入門するのだろう。
 もちろん神道系・仏教系などの区別はあれど、教団の消長はラーメン屋の暖簾分けだったり、アパレル業界の兄弟喧嘩に似ている。分派・独立などを過去に経験し、とりあえず現在の勢力図で均衡がとれている状況、というのが大まかに分かる。
 著者はさらに、昭和初期の国家神道が強制される状況に対して、教団がどのように対抗したのか、という軸で教団を測る。たとえば、天皇制国家により宮殿がダイナマイトで破壊されるほどの抵抗を示した大本教の記述は厚く、戦時中に天皇制の傘下に入ってやり過ごした霊友会や生長の家については、思い入れがない書きぶり。
 教団運営のコツは、他宗派でノウハウを学ぶか実業界の方法を援用すること、教団指導者一名以外にカミサマが降りてこないよう注意すること、指導者が死んだ時の継承者を決めておくこと、といったところか。
 ネットで検索しながら読むと、二倍楽しめる。黒住教の「大教殿勤番」(どれだけ偉いのか分からない)が、30代のパパで阪神タイガースファンなのも分かる。分かってどうする。

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2006.03.11

『建築家捜し』磯崎新、岩波現代文庫

 自分探し。自己同一性の探求とおおまかに言い換えられるこの言葉は、ここ100年ぐらいの流行語の一つで、たっぷりの手垢てらてら。自分探し大好き大衆の眼前で、さあ猫だましで入るか、うっちゃりで行くか、凌ぐかかわすか、ところがイソザキ先生、あえて敢然と四つに組んだ。さすが横綱。
 本書では、60年代~70年代における彼の建築史が明らかにされる。60年代の篠原有司男や赤瀬川原平との無茶苦茶な交友を経た「建築家とは何か」という問いへの探求が、1970年の「日本万国博覧会お祭り広場諸装置設計」を契機に、どんづまったまま拡大を見せる。結局どんづまっているのか拡大しているのか、この辺が「建築家捜し」そのもの。ただし、その伏線はその2年前、1968年のミラノに遡る。
 1968年5月のミラノ・トリエンナーレに磯崎が、原爆投下直後の広島をもとに未来都市を重ね合わせた作品『電気的迷路』を出した。このとき彼は、出品作家でありながら、産業社会全体への抗議として展覧会場を占拠することを目指すグループに、占拠賛成の署名を行う。「占拠されたのは自分であったが、占拠したかったのも自分自身であった」。ここでダブルバインド状態に陥る自分へと関心が向かうのか、何か得体の知れないとにかく自分ではない何かを考えていくのか。どっちに行っても五分五分だ。だけど、磯崎は後者を選んで転がっていった。
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