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2009.11.09

『高丘親王航海記』澁澤龍彦、文春文庫

 残された小説が少ないものの傑作だらけなため、言及されつくした感もある著者の小説作品群。その中でも主著と目されるこの奇想小説に関して、文芸評論家の奥野健男は「ブキッシュな厳密な考証に耐えると共に、現代の風刺になっているだけでなく、実におどろくべきことだが」――ここからが重要なのだが「作者の身心の表白にもなっていることだ」と指摘する。
 時は貞観七年、西暦に直しても仕方ないが、867年。天竺へ上ることを夢みた高丘親王は、還暦をとうに過ぎながらも宿願を果たすべく、広州の港を出た。おんなの顔を持つ鳥や、獏肉を乞う姫君など、あまたの椿事に遭遇する一行。
 お供は果敢に道を探るが、親王はどこか他人事然としているか、呆然としている場面が多い。夢の中の天竺に近づいている感覚もない。「なにを求めているのか、なにをさがしているのか、自分でもよく分らない」。同時に、探していたものと出会ったときの既視感をも予期している。「ああ、やっぱりそうだったのか。すべてはこの一言の中に吸収されてしまいそうな予感がした」。それは濃厚な死の予感。1987年に連載終了。同年、著者逝去。

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Posted at 06:14 | 文春文庫 | COM(0) | TB(0) |
2006.05.04

『日本一の昆虫屋』志賀夘助、文春文庫PLUS

 著者は志賀昆虫普及社会長。文春ネスコの元版では「わたしの九十三年」が副題だったが、文庫化にあたりそれが「志賀昆虫普及社と歩んで、百一歳」に。ペン習字を最近習い始めた、と夘助老の前書きが付される。
 戦争前から続くただ一軒の、日本の昆虫屋。昆虫への愛情やその生態についての不思議、という切り口はもちろん。ただこの本の半分以上を占めるのは、過酷な運命の告白。貧家で生まれ育ち、片目を失明。校長に騙されて事実上のお手伝いとして住み込むことになり、その後滅茶苦茶な時計屋へ丁稚奉公に出され、昆虫に興味を見出してからも、親方の約束が何度も撤回される。独立し自分で会社を興すまでの記録は、大変しめっぽい話なのに、細部は話が擦り切れてカラッとしたものだ。百まで生きるもんだ。
 ただの昆虫屋じゃなくて、昆虫普及に焦点がある。ミッションに外部的、総合的な視点を常に担保し続ける姿勢と、それを蹴破る勢いや成り行き任せの衝動性がうまくバランスしてる。会社を生き物として使っているわけだ。
Posted at 23:58 | 文春文庫 | COM(0) | TB(0) |
2006.01.31

『文壇』野坂昭如、文春文庫

 野坂は一日にして成らず、放送作家、雑文書き、司会者、童謡作詞家、いずれの世界で活躍していても、よくいえば慢心することもなく、正確には僻みっぽくて誰に対しても拗ね者として身過ぎ世過ぎ。小汚い酒場にいると、すぐ背中には、文壇の重鎮が群居する。発表したものの評価はどこでも話されない。
 吉行淳之介の評価が気になる。五木寛之の動向が気になる。自分の小説はといえば「思いつきは浮かぶ、書けない。自分のわずかな作品の、冒頭すらあやふや、およその筋も覚えていない、酔わなきゃ読み返せない、ウイスキーグラス片手に、おそるおそる自分の小説を読む、自分で感心」。
 どうにか浮草掴まえて、人のアドバイス通り、TVの司会者業を降りて新作書けば、あれよあれよで直木賞、白いスーツ。改行句読点恐怖症のまま泥酔し、それでも書き続ける、頭を上げて、羅針は何処にある。死なれてみて分かるのか、それは三島由紀夫。
Posted at 22:45 | 文春文庫 | COM(0) | TB(0) |
2006.01.16

『西日の町』湯本香樹実、文春文庫

 湯本の他の作品と同じように「ぼく」が登場して語りだすけれど、この主人公は40代で医科大学に勤務している。湯本が自身の同時代をモチーフに、今まで以上に嘘偽り無く書いた作品だと思う。
 母親とその父親である「てこじい」について、そのまま西日の町の記憶として綴られる。貧乏くじを引きながらも実直に生きるやや繊細すぎる母親と、奔放な生き方をする気難しい祖父のやりとり。その両方の性質を理解し、受けとめ、受け継ぎながら暮らす小学生の僕。
 2Hくらいの硬い鉛筆で書いたようなストーリーの中、印象に残るのは、貝のシーン。「生まれなかった僕の弟」について、三人がそれぞれ考えながら、てこじいが遠くの町まで出かけていって取ってきたアカガイを剥き身にして食べる。食べることで変わることがあるとしたら、それはまず体だ。体が食べ物で変わる。体が変わって、次に何が変わるのだろうか。
 ゆっくりとだけど確実に変わっていくこと。寡作な著者は、いつもそれだけを書いている。
Posted at 07:10 | 文春文庫 | COM(0) | TB(1) |
2005.12.27

『幻の漂泊民・サンカ』沖浦和光、文春文庫

サンカとは、戦後すぐまで日本に存在したはずの、漂泊民のことを指している。当て字で「山家」あるいはひどいときには「山禍」などとも書かれた。
 簡単に言うと、サンカの記録がほとんどない。書誌がないから、いなかったことにしていいのかという一点にこだわり続けて、著者は膨大な研究ノートを開陳していく。ものすごく孤独な戦いだ。
 サンカの生活実態の考証を続けるうちに、論は独特な展開を辿る。つまり、旧賤民の系譜を遡り、サンカの系譜と交わる点があったかどうかを検討する作戦に出るわけだ。いわゆるエタ系、非人系、雑種賤民の歴史を丹念に検討し始める。沖浦和光は、被差別部落の研究者だそうで、その強みがぐんと出ている。
 しかし、サンカと旧賤民系との(血族的な)交流はないようだとした上で、サンカの発生は「近世の後期に相次いでやってきた社会的な危機の時代に、農山村民の一部が、定住生活に見切りをつけて漂泊生活に入った」との結論を得る。社会的危機というのは、ひとことでいえば数年に及ぶ大飢饉のこと。
 同時に、サンカを社会的な悪玉と見なした作家でジャーナリストの三角寛が著した作品の検討も行っていて、メディア史の側面から見ても、けっこう面白い。
 何代将軍がだれだれで、という歴史には今も昔も興味がないが、ひとつの社会の辺境、エッジきわきわのところに位置していた人々に思いを馳せること、そしてそれを歴史と呼ぶことがもっとあってもいいんじゃないか。
Posted at 16:04 | 文春文庫 | COM(0) | TB(0) |
2005.11.23

『私生活』神吉拓郎、文春文庫

 男と女の日常、出会い、別れを描いた掌編小説十七作。初出は「オール読物」。熟れた人間関係をひとつの水平線に、場面ごとに現れる人たちの過不足する日常、機微を――それも、男の側から――描いていく。いずれもどことなく女性をぞんざいに扱っていて、昭和な薫りがする。家父長制うんぬん、というのと問題の次元が異なるのをなんと説明したらいいのだろうか。
 解説を書いているのは、作家の中村武志である。彼は国鉄勤務のサラリーマンで、「目白三平」の作家で、愛妻家で、パリ好きで、鍋屋横丁であるわけだ。どうだい、もう、これだけで昭和だ。その彼と作風が近いと思われていたであろう神吉の代表作に解説を書いているのだ。(いま調べたら、神吉は昭和3年生まれ。中村は明治42年生まれで、中村の方が先輩格だった)
 中村は、神吉とほとんど会ったことがないとしたうえで、彼のエッセイから「お洒落」を引用し、神吉こそ「心の洒落者」ではないか、と書く。よく酒を飲む仲である、という書き出しではなく、ライバルとしての微妙な思いをそのままに、相手にエールを送っている。これもまた人生の機微である。機微ってなんだか知らないけれど。
Posted at 11:13 | 文春文庫 | COM(0) | TB(0) |
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