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2006.02.17

『銀のほのおの国』神沢利子、福武文庫

 幼い兄妹が異界で旅をする話なのだが、いわゆる子ども向けファンタジーと呼ぶのを躊躇してしまうような展開が待ち受ける。『くまの子ウーフ』(ポプラ社文庫)を書いた作家だと思い読むと、血なまぐさい殺戮シーンに耐えられなくなるかもしれない。だけど、ウーフで彼女が書いたこととの差が、実はそんなにないのも、読み終えると分かる。
 この作品で彼女が描きたかったことを考えるためには「あとがき」が示唆的。神沢が作品を書いた「当時の日本は七〇年安保や学園紛争に揺れ動いた時代でした。私の二人の娘も大学生となり、デモ隊に加わった友人たちが傷ついてわが家にかけこんだこともありました」。
 作品の大部分を占めるトナカイとアオイヌのたたかいの場面では、大きな構図、大文字の歴史が提示される。次に、構図で見取られた集合の輪郭がぎざぎざしていること、つまり裏切り者やサイレント・マジョリティの存在など、構図というものが持つ強度──デタラメさに支えられた強度──の話になる。
 最後に、構図や歴史上の読み取りを拒否しようと抗う存在を書くのだ。これこそが神沢利子だと思う。この作品でいちばん生き生きとしているのは、二本足の子どもであるたかしやゆうこではなく、トナカイやアオイヌの一族でもなく、ひとすじ川のビーバーたち。ビーバーのじいさま曰く「なあ、ちび。だれだって食われるのは切ないものだぞ」だけど「あかんぼをとられても、家族のものが次つぎに悪いやつにさらわれても、じっとがまんしているのだ。きっと口を結んでな」。
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