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2006.03.11

『建築家捜し』磯崎新、岩波現代文庫

 自分探し。自己同一性の探求とおおまかに言い換えられるこの言葉は、ここ100年ぐらいの流行語の一つで、たっぷりの手垢てらてら。自分探し大好き大衆の眼前で、さあ猫だましで入るか、うっちゃりで行くか、凌ぐかかわすか、ところがイソザキ先生、あえて敢然と四つに組んだ。さすが横綱。
 本書では、60年代~70年代における彼の建築史が明らかにされる。60年代の篠原有司男や赤瀬川原平との無茶苦茶な交友を経た「建築家とは何か」という問いへの探求が、1970年の「日本万国博覧会お祭り広場諸装置設計」を契機に、どんづまったまま拡大を見せる。結局どんづまっているのか拡大しているのか、この辺が「建築家捜し」そのもの。ただし、その伏線はその2年前、1968年のミラノに遡る。
 1968年5月のミラノ・トリエンナーレに磯崎が、原爆投下直後の広島をもとに未来都市を重ね合わせた作品『電気的迷路』を出した。このとき彼は、出品作家でありながら、産業社会全体への抗議として展覧会場を占拠することを目指すグループに、占拠賛成の署名を行う。「占拠されたのは自分であったが、占拠したかったのも自分自身であった」。ここでダブルバインド状態に陥る自分へと関心が向かうのか、何か得体の知れないとにかく自分ではない何かを考えていくのか。どっちに行っても五分五分だ。だけど、磯崎は後者を選んで転がっていった。
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